2005年07月19日
アニメ、ファンタジー嫌い
ウラジオストクのアドミラル・フォーキナ通りのアーニャさんとマーシャさん |
「アニメ大国」で生まれ育った日本人には理解できないが、ロシアのアニメ差別はすごい。新聞のテレビ欄を見ると、日本では「サザエさん」とか「クレヨンしんちゃん」とか名前が書いてある。しかし、ロシアの新聞には、「アニメ」とだけあり、番組名が書いてないのだ。つまり、「アニメは子供が見るもので、みんなくだらない」ということなのである。筆者がロシアの友人に、宮崎駿監督などの良質なアニメを見せようとすると、「フッ」とバカにされてしまう。それでも無理やり見せると、途中で寝てしまう。
ファンタジー系の映画も、子供が見るものとして評判が悪い。全世界で大ヒットした「ハリー・ポッター」「ロード・オブ・ザ・リング」「スター・ウォーズ」シリーズなどを、ロシア人はバカにしている。筆者の友人でロシア人と結婚している日本人が、妻(あるいは夫)に「スター・ウォーズを見に行こう」と誘う。すると、妻(夫)は、「子供じゃん」と笑い、頭をなでなでされてしまう。
では、ロシア人はどんな映画が好きなのか。キーワードは、「考えさせる」「深い」映画。ハリウッド映画に慣れている日本人に表現させると、人間の葛藤(かっとう)を描いた「ドロドロした」映画。
どうして、このような趣味の違いができたのだろうか。筆者は教育の違いだと考えている。ロシア人は、中学生のころから、ドストエフスキーとかトルストイといった、人間の内面の葛藤を描く「古典的名作」を読ませられる。おかげで、「思慮深く」「考える」人になってしまうのである。
そんな早熟なロシア人にとっては、大抵のアメリカ映画が、「低俗」なのである。
(Y)
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この記事へのコメント
1. Posted by M.U. 2005年07月27日 23:14
今日のロシア映画の話を見てなるほどと思いました。ロシア語を習いに行っていたころ、よく、クラスの人たちと三人でロシア映画を見に行きました。どれもこれも暗く、エネルギーの要るものばかり。毎回見終わった後、みんなで喫茶店に入り、「今のはなんだったんだ。」とあれこれ議論したものです。惑星ソラリスを見た時は、ロシアではSFまで人生云々を語るのかとびっくりしたものです。
数年前に「子ねこ」を見た時、ロシアの映画もずいぶん明るくなったと思いましたが、あれも当然子供向けなのでしょうねえ。また、ロシアからのニュースを楽しみにしています。
数年前に「子ねこ」を見た時、ロシアの映画もずいぶん明るくなったと思いましたが、あれも当然子供向けなのでしょうねえ。また、ロシアからのニュースを楽しみにしています。
2. Posted by 違うと思う 2005年08月11日 12:07
私もロシア人との付き合いは多いのですが、残念ながら一般的にそれほど思慮深いロシア人は多くないです。「ドストエフスキーは陰気で重くて嫌い」という人が殆どです。反対に推理小説やSF、恋愛小説は人気があります。確かにアニメやファンタジー映画は子供向けと見る傾向はありますが(私もその一人ですが)、何故か地方に行くと、特に男性にアニメ好き、ファンタジー好きが目立ったりします。西側ではロシア映画の代名詞的監督であるタルコフスキーやソクーロフは、本国ではあまり人気がありません(暗いからです)。
全体的に日本人より読書量は多いでしょうが、普段の生活が苦しいためでしょうか、内容の深いもの、深刻なものはあまり好まれません。ただし漫画はまだ普及していないようです。
全体的に日本人より読書量は多いでしょうが、普段の生活が苦しいためでしょうか、内容の深いもの、深刻なものはあまり好まれません。ただし漫画はまだ普及していないようです。
3. Posted by Shin 2005年09月11日 07:47
何処の国であろうと、祖国の古典的芸術作品やその手法には、多大な尊敬を払うものであろうが、特にロシアでは「考えさせる」「深い」芸術作品を好む傾向が強いようですね。それは、どうしてでしょうか?
私は、この記事の筆者の方と違い、ロシア人の芸術に対する嗜好は、教育の違いも勿論あるでしょうが、やはり、長きに渡って虐げられてきた言論環境にあるのではないかと考えております。
ロシア革命後、国家により、プロレタリアート芸術が無理やりに強制され、検閲を恐れながら、芸術家たちは、まさに文字通りに身を削りながら、命がけで作品を通して自己の主張するメッセージを、受けてたる国民に伝えなければならなかったことは、周知のとおりだと思います。
芸術の送り手だけでなく、受け手側もやはり、真剣にそのメッセージを「思慮深く」「考え」て読み込む必要があったことは想像に易くないからです。
私は、この記事の筆者の方と違い、ロシア人の芸術に対する嗜好は、教育の違いも勿論あるでしょうが、やはり、長きに渡って虐げられてきた言論環境にあるのではないかと考えております。
ロシア革命後、国家により、プロレタリアート芸術が無理やりに強制され、検閲を恐れながら、芸術家たちは、まさに文字通りに身を削りながら、命がけで作品を通して自己の主張するメッセージを、受けてたる国民に伝えなければならなかったことは、周知のとおりだと思います。
芸術の送り手だけでなく、受け手側もやはり、真剣にそのメッセージを「思慮深く」「考え」て読み込む必要があったことは想像に易くないからです。
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