2005年12月03日

紛争語らぬサラエボ市民

ボスニアから

 ウィーン南駅からバスで十四時間余り乗ってサラエボに到着した時、さすがに疲れた。

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 同じ試練に耐えてきた乗客の中には、出稼ぎのためにウィーンの建設現場で働いてきた季節労働者の姿が多い。冬の到来を控え、建設業界の受注が少なくなる時期に入ると、故郷に戻って一息つくボスニアの労働者たちだ。

 ボスニアの失業率は40%。仕事を母国で見つけることは限りなく不可能に近い。特に、中年層は深刻だ。だから、外国に生活の糧を求めて出稼ぎに行かざるを得ない。

 一人の労働者にデートン和平協定十周年の成果について聞いてみた。

 イスラム系の彼は「紛争がないということは幸せなことだ」と語ったが、それ以上は話したくないようだった。紛争で亡くした知人や家族のことを思い出していたのかもしれないと考え、それ以上は話し掛けなかった。

 サラエボではボスニア紛争について沈黙する市民に多く出会った。語りだせば、怒りと悲しみが襲ってくるからだろうか。ボスニア紛争が終了して十年が過ぎようとしているが、紛争の記憶はまだ生々し過ぎるのだろう。

 一人のクロアチア人が「歴史を語り継ぐことは大切だが、時には忘れることがそれ以上に大切な時だってある」とつぶやいていたが、サラエボ取材で記者はそのことを教えられた。

 サラエボ市民は生きるのに忙しい。学生も子供たちもビデオ・ゲームに費やす時間はない。何かを路上で売ってその日の糧を少しでも稼がなければならないからだ。

 雨が降れば、どこからか集めた傘を路上で立ち売り。夜には手袋やスカーフを地べたに広げて売る。そこにはイスラム系、クロアチア系、セルビア系といった相違はない。紛争後の運命では、民族の違いなどは全くない。

(O)

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この記事へのコメント
はじめまして。
ランキングで見つけてはじめて拝見しましたが、興味のある記事が多いです。新聞やテレビでは報道されないレベルの、実際の社会や生活についての記事は大変興味があります。
お気に入りに登録しましたので、また来ますね。
Posted by wallflower at 2005年12月03日 13:07
wallflower さん、コメントありがとうございます。これからも宜しくお願いいたします。
Posted by 管理人N at 2005年12月05日 23:41
 紛争後の運命では、民族の違いなどは全くない。←最後のことばがすごく印象に残りました。民族純化を叫んで戦争をふっかけるのもいいかもしれませんけれど、結局戦争は民族自体を不幸にするんですね。当時の指導者はそこまで考えていたのでしょうか?
Posted by 蚊め! at 2005年12月06日 12:13
この戦争は各民族の指導者の能力の無さが極端に現れた紛争だと思います。自分たちだけが権力と富を握り、一般の国民は生命と財産を失った典型的な内戦だったと思います。連邦国家、ユーゴスラヴィアに多くの問題があったことは事実である。しかし、それは話し合いで解決すべき問題であって、戦争で解決すべき問題ではなかったと思います。関係者が100%自分の立場を主張し、勝か負けか、全てか無かの問題にしてしまったことに問題があります。結果は血み泥の戦争となり、先ほどまでは友人、親戚、協力者が、敵か味方かの関係にしてしまったからです。この紛争を振り返るたびに、明治の日本の指導者の勇気ある判断に、自然と敬意の念が湧きます。
Posted by アーサー at 2005年12月07日 09:47
蚊め!さん、アーサーさん、コメントありがとうございます。
「 指導者 」の力量が、国の行く末を決める、ということでしょうか?それを考えると今の日本の指導者で、明るい日本の未来はあるのか?と一抹の不安を感じてしまうのは私だけでしょうか?
世界日報は、正しい日本の行くべき道を示していけるよう今後とも努力してまいります。
Posted by 管理人N at 2005年12月07日 11:28