2007年05月29日

カルバンと「イフ」

オーストリアから

 「もしヒトラーの生誕地が数百メートル離れたドイツ領土内だったら」「もしヒトラーがウィーン美術大学に合格していたならば」

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 これらの「もし」が許されるならば、ヒトラーはオーストリア人ではなく、ドイツ人となり、民族主義と反ユダヤ主義を標榜(ひょうぼう)する独裁者ではなく、美術学生としてその才能を発揮していたかもしれない。

 アドルフ・ヒトラーの出生地はオーストリアの小村ブラウナウ・アム・インだ。村を通過するイン川を越えると、そこはドイツのバイエルン州だ。ヒトラーの出生地とバイエルン州は実際、数百メートルも離れていない。多くのオーストリア人が「ヒトラーはドイツ人であり、ベートーベンはオーストリア人だ」と宣伝したくなる衝動も理解できる、というものだ。

 また、ヒトラーがウィーン美術大学に合格していれば、彼はウィーンにとどまっていたかもしれない。しかし、二度の入学試験とも不合格となってしまったヒトラーは美術学生となる夢を捨て、ドイツに未来を求めて出て行ったわけだ。

 「もし(イフ)」という言葉は歴史を考える際、タブーだが、歴史の中には「もしそうであったならば」と考えてしまうような状況が少なからずあるものだ。

 人生には選択し、決断しなければならない機会が少なくない。極端に言えば、人生は選択し、決断する瞬間の集合体だ。そして、いつも正しい選択と決断を下せるわけでもない。

 ジャン・カルバンの「予定説」を信じる者には、この「イフ」の思考はない。すべてが神によってあらかじめ決められていると考えるからだ。その意味で、「イフ」を愛する人は、カルバン説を信じる人には味わうことができない、「思考の自由」と「内省の時」という恩恵を享受できるのではないだろうか。

(O)

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sekai_no_1 at 08:44│Comments(0)TrackBack(0)ヨーロッパ 

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