2007年06月19日

イスラム教徒の思考停止現象

エジプトから

 イスラム諸国に長年滞在した日本人の大多数が一様に感じることの一つに、イスラム教徒の思考停止現象がある。こう断定してはイスラム教徒の人々に申し訳ない気もするのだが、記者の日本人の友人との間で、ほぼ一致した見方を交換することが多いので、ある程度の真実性があると思われる。

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 思考停止はどこから始まるかというと、まず、「イスラム教は絶対だ」ということからで、彼らが聖典とする「コーラン」は、神が天使ガブリエルを通じて、預言者ムハンマドに直接啓示したものであるが故に、絶対無謬(むびゅう)で完璧(かんぺき)だということ。今は理解できない語句や文章があっても、それを理解できない人間側に問題があるのであって、やがてすべてが分かる時が来ると信じ、疑問を先送りしてもいる。

 従って、イスラム教指導者を批判する人はいても、コーランやハディース(預言者の言行録など)の内容を批判する人は皆無で、批判すること自体が不信仰とされるという、思考停止にぶつかる。

 従って、そこでは、コーランはあくまでも信仰の対象であって、学問研究の対象であってはならないという、あたかも中世ヨーロッパ時代、聖書を神の啓示によって書かれた聖なる書故に、その一字一句が正しいと信じた時代と全く同様の思考が存在している。

 科学的思考を基本原則に育ったわれら日本人からすると、頭から信じ、疑うことをしないという思考方法は非科学的であり到底受け入れられないのだが、彼らはそれが平気で、正常だと思っている。この落差は、信仰の差なのか、はたまた時代の差なのか。

 記者にはどうも時代の差のような気がしてならない。

(S)

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この記事へのコメント
イスラームという語は、(絶対)帰依という意味でしたでしょうか? この宗教自身が、疑問を抱くことを押しとどめているような気がします。しかも、「ムハンマドは、ユダヤ教のモーセ、キリスト教のイエスに続く預言者であり、しかも最後の預言者」という位置づけが、他の宗教との比較を阻んでいるのかもしれません…。
しかし、それ以外にも、家父長的社会や、部族・家族を重んじるところからくる、論理よりも感情重視等も、(この社会でうまく機能している面はあるのですが)「疑問を抱かせない」ことに関与していると思います。しかも、若者に就職口は不足し、コネ社会なら、親や目上に逆らうより、イエスマンの方が楽だし、なまじっか「何故?」と疑問を持つと、精神的に苦しい社会ではないかと思います。
しかし、現代の日本もそうではないでしょうか? ただ、我々は宗教的にいい加減だから、宗教に関連付けられないだけで…??
Posted by かもめ at 2007年06月22日 02:07
3週間前ぐらいから、ナイルTVの連続ドラマ「Weapon of Mass Destruction」(17:10−18:00)で、今のエジプトの問題点がいろいろ描かれていました。ドラマですが、主人公の精神科医は、科学(的思考)の欠如を嘆いていました。彼の優秀な弟子である女性研修医は、婚約した途端、婚約者の言葉に従い、ベールを被り、医師の仕事もやめようとします。この研修医が婚約者の言葉をそのまま繰り返したり、「本に書いてあったから」と自己弁護。別の研修医とその婚約者は「今は娯楽が幅をきかして、勉強も仕事もなんでも簡単に済ませようとする。文化が安っぽくなった」と嘆きます。…わかってる人にはわかってるようでほっとしますが、いかんせん、グローバライゼーションで国際的ビジネス・消費文化に巻き込まれ、物事を未消化のまま受け入れ、背伸びしすぎ、でもせざるを得ない上級の発展途上国の悲哀を感じました。
Posted by かもめ at 2007年07月03日 16:13
人間とは?生物とは?の元題。
Posted by yakutatazu at 2007年08月25日 12:32