2007年12月22日

ドラマチックな大統領選

韓国から

 韓国の大統領選挙といえば、最後の最後まで何が起こるか分からない。ドラマチックなことで有名だ。

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 一九九七年は、巨大与党ハンナラ党の候補で支持率トップを走り続けていた李会昌候補が、子息の兵役拒否疑惑に加え、韓国動乱以来の国難といわれた金融危機に見舞われ、四度目の挑戦となった金大中氏に勝利を奪われた。

 李氏は二〇〇二年の前回選挙にも野党ハンナラ党から再挑戦したが、米軍装甲車による女子中学生殺害事件による反米感情の高まりと、盧武鉉氏のネットを活用した新しいタイプの選挙活動によって、またもや投票日直前に逆転を許して敗北した。

 この時には、もっと劇的な反転(の反転)があった。盧氏が李氏を支持率で逆転する契機となったのが、日韓ワールドカップの成功で当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった鄭夢準・大韓サッカー協会会長との候補一本化だが、その鄭氏が、選挙運動の最終日、しかも最後の遊説を盧氏と一緒に行った後に、盧氏支持の撤回を発表したのだ。

 あっと驚く反転に、固唾(かたず)をのんで開票結果を見守ったが、何と危機感を抱いた盧支持者が結集して小差を守り切った。

 それに反し今回の選挙は、野党ハンナラ党から出馬した李明博氏が支持率で終始ダブルスコア以上の差を付けていたため、平穏な選挙かと思われた。

 ところが、劣勢の与党系鄭東泳陣営は、投票日の前々日に李氏を不正疑惑で直接捜査できる法案を可決させ、大逆転を試みた。

 もっとすごいのが、無所属で出馬した李会昌陣営だ。最終日の遊説で、司会者が「朴槿恵氏が李会昌氏を支持した。ハンナラ党議員六十七人がきょう離党会見を行う」とぶち上げたが、そんな動きは皆無。

 結局、これらの試みは大勢に影響を与えなかったが、やはり韓国は、一筋縄ではいかない。

(T)

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sekai_no_1 at 08:28│Comments(0)TrackBack(0)韓国・北朝鮮 

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