2008年08月16日
ソルジェニーツィンの見た夢
アレクサンドル・ソルジェニーツィンは一九一八年、北カフカスのキスロボツクで生まれた。ロストフ大学卒業直後の四一年、第二次世界大戦に送られる。祖国のために懸命に戦った彼に不幸が襲った。ソルジェニーツィンが友人に送った手紙の中で、「スターリンを批判した」というのだ。それだけの理由で、強制収容所送りになった。
五八年、ようやく許された。ソルジェニーツィンは六二年、収容所の体験を基に「イワン・デニーソヴィチの一日」を発表。これが世界的ベストセラーになる。そして七〇年、ノーベル文学賞を受賞した。しかし、自国を批判し続けるソルジェニーツィンに、ソ連当局は激怒。国外追放になってしまう。
彼は、アメリカに渡った。しかし、欧米諸国は「ソ連に住んでいないソルジェニーツィン」を必要としていなかった。欧米の物質中心文明を容赦なく批判したこととも無関係ではあるまい。
九四年、新生ロシアに帰国を果たす。しかし、そこで見たものは、とんでもない混乱と貧困だった。エリツィンにも、ひどく失望した。
苦悩と絶望を味わい続けた彼だが、最晩年にようやく希望を見いだした。それはプーチンにより、ロシア正教が大復活を遂げ、同時に国民が豊かになっていく姿だった。「プーチンはロシアを復活させた」と賛辞を贈り続けた。(独裁者とは思っていなかったようだ。スターリンよりマシということか)
彼は言う。「現代の悲劇は、すべてわれわれが神を忘れたことに原因がある」
すべての苦しみを味わい、なおも理想の世界を夢見た男。八十九歳だった。
(Y)
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五八年、ようやく許された。ソルジェニーツィンは六二年、収容所の体験を基に「イワン・デニーソヴィチの一日」を発表。これが世界的ベストセラーになる。そして七〇年、ノーベル文学賞を受賞した。しかし、自国を批判し続けるソルジェニーツィンに、ソ連当局は激怒。国外追放になってしまう。
彼は、アメリカに渡った。しかし、欧米諸国は「ソ連に住んでいないソルジェニーツィン」を必要としていなかった。欧米の物質中心文明を容赦なく批判したこととも無関係ではあるまい。
九四年、新生ロシアに帰国を果たす。しかし、そこで見たものは、とんでもない混乱と貧困だった。エリツィンにも、ひどく失望した。
苦悩と絶望を味わい続けた彼だが、最晩年にようやく希望を見いだした。それはプーチンにより、ロシア正教が大復活を遂げ、同時に国民が豊かになっていく姿だった。「プーチンはロシアを復活させた」と賛辞を贈り続けた。(独裁者とは思っていなかったようだ。スターリンよりマシということか)
彼は言う。「現代の悲劇は、すべてわれわれが神を忘れたことに原因がある」
すべての苦しみを味わい、なおも理想の世界を夢見た男。八十九歳だった。
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