2009年02月20日

枢機卿の死

韓国から

 先日、八十六歳の生涯を閉じた韓国カトリック教会の最高指導者・金寿煥枢機卿の弔問には、大勢の人が詰め掛けた。一時、遺体が安置されたソウル市の明洞聖堂の周辺は、数キロにわたって長蛇の列ができ、五時間以上待つ人もいたほどだ。

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 韓国人にとって金枢機卿は、単なる宗教家ではなく、庶民の中に入り込んで苦楽を共にし、民主化に尽力した指導者というイメージが強い。弔問客の多様さを見ると、思想や信条を超えて幅広い層の人たちから慕われていたことが分かる。

 民主化抗争の象徴となっている一九八〇年の光州事件では、当時の軍事政権の圧政に抗議した。明洞聖堂に学生たちをかくまい、警察が突入しようとすると「私を踏んでから行け」と体を張って守ったという話は有名だ。

 その一方で自らを「保守」と称し、特に盧武鉉政権時代には、その親北反米路線を厳しく批判したため、今度は左傾化していった民主化勢力から「時代遅れ」と指弾された。

 十数年前、韓国仏教界の中心にいた性徹大禅師という高僧が亡くなった時も、全土が喪に服したような雰囲気に包まれたそうだ。宗教指導者が社会に与える影響力の大きさを改めて実感させられる。

 遺言に従い、金枢機卿の角膜は目の不自由な人たちに寄贈されたが、これをきっかけに韓国では角膜寄贈を希望する人が急増しているという。弔問の列をスケッチしたあるマスコミは「小競り合い、割り込み、いら立ちのない行列……人々の間に“静かな革命”」と表現した。「ぶつかり合い」の多い韓国が、しばし、浄化されているかのようだ。

(U)

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sekai_no_1 at 08:51│Comments(0)TrackBack(0)韓国・北朝鮮 

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