2014年04月01日

ソ連崩壊後の危機感再来

英国から

 今回のウクライナ危機を見ていて、記者がバルト3国のエストニアに住んでいた20年余り前の状況がよみがえってきた。独立は回復したものの、国内には多くのロシア系住民が住んでおり、隣国ロシアの影響力がまだ続いていた。最初に借りたフラット住宅の家主の夫人はウクライナ出身で、スターリン時代にシベリア送りになっていた時に収容所でエストニア人のご主人と知り合い結婚したが、ご主人よりもロシアへの憎しみはずっと強かった。

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 聞いてみると、第2次大戦の当初、ウクライナはドイツの影響下にあり、夫人はドイツに送られて教育を受けていた。このためソ連軍がドイツ軍を破り、ウクライナに入ってきた時にドイツ協力者とのレッテルを貼られてシベリア送りになった。ドイツに行っていた人間はスパイ扱いされ過酷な仕打ちを受けたという。

 ウクライナの西部はかつてポーランドやリトアニアの支配下にあった時期もあり、文化的にもヨーロッパとのつながりが深い。ロシアの勢力拡大とともに後からロシア人が送り込まれてきて、次第にロシア系住民の人口が増えたのは、バルト3国や中央アジアの国々の場合と同じだ。

 ソ連崩壊後に独立したこれらの国々では、取り残されたロシア系住民の取り扱いが大きな社会問題であり、ロシアによる干渉の脅威に常にさらされている。ロシア系住民の割合が多いのはラトビア26・2%、エストニア24・8%、カザフスタン23・7%、ウクライナ17・3%などだ。バルト3国はロシアの干渉を恐れて、いち早く北大西洋条約機構(NATO)と欧州連合(EU)への加盟を達成したが、ウクライナも同様な気持ちだろう。

 ロシア系住民は今、住んでいる国に定住化するか、さもなければロシアへ帰還するかしかない。ロシアが武力で威圧しながらロシア系住民の保護を目的に他国の主権を侵害する権利は全くない。

(G)

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