2016年07月08日

先人に頭を垂れる

ブラジルから

 先日、新潟からブラジルへと移住した方々の記念式典を取材した。最初の移住者は日露戦争終了間もない1908年のこと。当時、日本からブラジルへと渡る交通手段は、片道だけで数カ月もかかる船の旅であり、現地では日本食や日本の情報が手に入らなかった時代だ。どれほど望郷の念に駆られ苦労されたか、想像することもできない。

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 サンパウロの日本人街(現在は東洋人街)の宮城県人会館で開催された記念式典には、ブラジル各地から集まった200人以上の新潟出身者とその子孫が集まっていた。日本とブラジルの国歌斉唱に始まり、戦没移民の方々に対する黙祷(もくとう)へと続いたが、君が代を歌う日系の方々が醸し出す雰囲気に圧倒された。

 日系2世の女性(80)の父母は戦前、コーヒー農園との契約で移住してきたが、農園と結んだ4年間の契約満了後に「当初の約束」として譲渡を受けた土地はほとんどが原生林だったという。父と母、兄弟8人で原生林を切り開きながら、まさに人生を切り開いてきたとのお話。

 「あの原生林で過ごした幼少時代は楽しかったですよ、毎日のように木登りをし、いろいろな動物を飼ったり、両親と一緒に作物を育てていましたが、自然から多くのことを学び、人生の礎となる強さをいただきました」と明るく笑った。ブラジルに移住した日系人の方々に共通する屈託がなく底抜けに明るい笑顔だ。

(S)

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